沿革と理念

新たな出発

 1998年に、救急病院が開業した当時、地雷被害者数は年間1,000人に上り、少なくとも約半数が、同病院の無料治療を受けました。同病院での地雷被害者の治療は、現在も続けられています。しかし、その数は、2013年には200人以下にまで減ってきました。これは素晴らしい前進です。しかし、同じ期間、さらに深刻な死傷原因が顕在化してきました。それは交通事故です。
 過去5年間、カンボジアの混雑した道路を通行する、車両数が増加しています。同時に、交通事故発生件数は、毎年30%の率で増加しています。地雷被害者数の減少は、交通事故被害者数の増加で、すっかり相殺されてしまいました。救急病院のベッドは、平均利用率90%以上で推移しています。
 この救急病院は、戦争被災者や貧困者に、無料の外傷・外科治療を提供するため、1998年にバッタンバンに建設されました。本報告書の最後に、22棟を擁する同病院の見取り図が付されています。

 当初、同病院は「エマージェンシー」という、イタリアの慈善団体が資金を提供し、運営していました。しかし、2011年に、このイタリアの慈善団体は資金不足に陥り、同病院を含む事業の継続が困難になりました。
 2012年1月、カンボジア保健省と、病院設立者であるイタリアの慈善団体は、ハンダ・ファウンデーションに、同病院の運営と維持を引き受けてくれるよう打診しました。そして、同年3月1日、病院をハンダ・ファウンデーションが引き継ぎました。
 その後、2013年6月28日から、ワールドメイト・ファウンデーションが、病院の運営を引き継いだのです。同時に名称も、カンボジア保健省の承認を得て、「ワールドメイト救急病院」に変更されました。
 この病院では、治療費を払えない、貧しい人には無料診療を行なっています。2013年は、約65%が無料診療でした。2015年からは、すべては無料診療になります。この活動と費用は、日本のワールドメイトの皆様の、温かい支援によって支えられているのです。
 また、ワールドメイト救急病院は、医師や看護師の訓練施設にもなっており、カンボジア国内の随所で、パートナーシップ関係を築いています。同病院は、大人数の患者を治療する施設として、非常に清潔で効率的な病院として知られています。術後感染症の発生率が、国内で最も低い施設の1つに数えられています。

 2012年4月7日、同病院の職員は、半田博士率いる、国際視察団のバッタンバン訪問を歓迎しました。この訪問の際、半田博士は、当初、30日後に閉業するはずだった同病院が、今後も、この地方の人々に、救命・外傷治療を提供し続けられるよう、支援を継続すると発表しました。

 この「新たな出発」のおかげで、ワールドメイト救急病院は、毎年数千人に上る、地雷や交通事故被害者の治療を継続できるようになりました。もし、この病院が閉鎖されたら、これらの患者達は、5時間もかけてプノンペンの病院に通わなければならなくなるところだったのです。



プノンペン・ポスト新聞記事
プノンペン・ポスト新聞記事

プノンペン・ポスト新聞記事

地方外科病院に救援の手    デボラ・セコンベ記者

 ヘリコプターが降下してきた。身体障害を持つクメールダンサーたちと救急外科病院の職員、患者らが歓声を上げた。バッタンバン地方で閉鎖の危機に直面していた同病院が、新たに継続的資金援助を受け、運営を続けられるようになったという知らせを聞いて、喜んでいるのだ。
 同救急外科病院は、年間3,500件の手術を実施し、カンボジアの地雷被害者全体の半数を治療してきたが、2ヶ月前にイタリアからの資金援助が途絶え、閉鎖が必至であると伝えられた。
 そこに現れたのが、日本人篤志家で、カンボジアとの関わりも深い半田晴久博士であった。同氏は先週末、ハンダ・ファウンデーションによる不特定額の資金援助を発表、病院はこれまで同様に運営を続けられることになった。
 ハンダ・ファウンデーションは、半田博士が推進しているもので、カンボジアの病院、学校、孤児院を援助し、同国が戦争とその後遺症から立ち直ることを助けている。支援先にはカンボジア大学やプノンペンのシアヌーク病院が含まれている。
 「バッタンバンの病院は、複雑な外傷に対処できる質の高い病院であり、この地方において、たいへん重要な役割を果たしています。」と半田博士は語る。「閉鎖になれば、その悪影響は大変なものだったでしょう」
 救急外科病院の医療コーディネーター、ニコラ・ドナーティ医師は、「病院を継続することができない、という知らせを聞いた時のことを、はっきりと覚えています。この病院は、なんとしてでも存続させなければならない。そう思いました」と回想した。
 ハンダ・ファウンデーションのディレクター、ケビン・オブライエン氏は、「同救急外科病院で治療されている種類の外傷に対応するには、車で5時間かかるプノンペンにまで行かなければならなかったでしょう。そんな長いドライブに耐えられない患者も、多かったことでしょう」と語っている。半田博士は、そうすることができる間は援助を続ける考えを示し、それは「今後1万年間を意味する」ことを期待する、と付け加えた。

[写真キャプション]
 バッタンバンの救急外科病院への新たな資金援助を祝う身体障害者ダンサーたち (提供写真)

カンボジア保健省からの感謝状

カンボジア保健省からの感謝状

   

 2013年6月、カンボジア王国保健大臣エアン・ホウト氏から、半田博士(深見東州氏)宛に感謝状が送られました。


半田晴久博士(深見東州氏)

 私は2012年6月22日に、半田博士の代理である、カンボジア担当ディレクターと、国際ディレクターとお会いし、1時間ほどお話をさせていただく機会がありました。この席で、私たちは、カンボジアの恵まれない人々のために、半田博士がなさってきた幅広い活動について話し合いました。また、この国における半田博士の今後の活動予定と、その内容についてもお話を伺うことができました。
 カンボジア王国保健省を代表し、バッタンボンのハンダ救急病院(Handa Emergency Hospital)の運営継続にご尽力いただいていることに対し、感謝の意を表します。
 この病院は、カンボジア北西部では数少ない、高機能外傷センターのひとつであり、我が国の医療システムにおいて、非常に重要な役割を果たしています。この地域に住むすべての人々にとって、この病院を引き続き利用できることは、大きな安心となっています。


カンボジア王国保健大臣
エアン・ホウト

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